安田理央『ヘアヌードの誕生』を読んだ。
日本のみならず欧米諸国のヌード表現の歴史を紐解きながら、いかにして我が国で「ヘアヌード」なるモノが誕生したのか、という史実に迫ったルポタージュである。
とりあえず、がっかりした。
本の内容に、ではない。
この本自体は「陰毛表現」の歴史について綿密に調べ上げられた読み応えのある内容に仕上がっている。エロや性風俗などの歴史に興味がお有りの方なら読んで損はない。それは断言できる。
そうではなく、本書を読んでる最中、ちんこがピクリともしなかった自分自身にがっかりしたのである。
いや、べつに官能小説じゃないんだから当たり前っちゃ当たり前だが、にしても一応昔のエロ本とかの図版も何点か掲載されてるんだから少しぐらいピクつけよ、昔だったら「全開」までは行かないものの「半勃ち」ぐらいの状態で読んでただろ俺、と思わないでもなかったわけで。
もちろん、加齢のせいもあるだろう。
しかし、仮にいま私が性欲満々の若者だったとしてこの本を読んだとしたらどうか。
やはりピクリともしなかったのではないか。
なにしろ、今やスマホやパソコン等でちょちょいと検索すれば「毛」はおろか、なんというか、「中身」といったらいいのか、もしくは「具」といったらいいのか、とにかく「そのものズバリのモノ」を誰もが簡単に見ることが出来てしまうのである。
「フーン、『毛』ごときでこんなに騒いでいた時代があったんだなあ」
いま、若い私が本書を読んだら一発抜いた直後でもないのに賢者モードでもってかくのごとき感想を漏らすだろうし、じっさい今時の若者が読んでもおそらく似たような感想が出てくるだろう。
ビニ本や裏本やAVなどの歴史にも軽く触れられているが、前述したとおり本書で詳しく紐解かれているのは「陰毛表現」の歴史だ。だからはっきりいって個人的にちんこ的な意味で興奮する部分はまったくなかった。私のちんこはうんともすんとも言わなかった。「毛」でお祭り騒ぎする時代はとうに過ぎたし、当然ながら私の意識も変わった。ただ、繰り返すが、読んでてつまらなかったわけではない。
個人的に興味深かった点をいくつか挙げる。
・週刊誌で最初にはっきりと陰毛が写った写真を掲載したのは『週刊新潮』で、それにじゃがたらの江戸アケミが絡んでいたこと。
・私もヤングなころによく行ってた上野のミリタリーショップ「中田商店」が、70年代、輸入ポルノの販売にも手を出していたこと。
・当初、「陰毛表現」にうるさかったのは欧州諸国であったこと。
などであろうか。
というわけで、しつこいが読んでて私のちんこはピクリともしなかったわけだがなかなかおもしろかった。個人的にエロとプロレスの裏話本は大概どれもおもしろく読めるが、この本も例に漏れなかった。俺もテンメイの本、買いに行ったなあ、とか、いろいろと思い出したりもした。
それにしても、「芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる」という副題はひじょうに秀逸だなあ、と思った。
まことにひどい読書感想文となってしまったが、陰毛に関する本だけに許してちょんまんげということで大目に見ていただきたい。