ひさびさに読書にはまっている。
主に読んでいるのは好きな作家のエッセイや音楽・映画の評論本、犯罪ルポタージュだ。
小説は一切読んでない。かつては太宰治や町田康、松尾スズキ、阿部和重、カート・ヴォネガットなどの小説にはまった時期もあったが、最近はどうにも億劫で読むモードになかなかなれないでいる。
そんな先日、ブックオフで本を物色していたら奥田英朗の書籍を発見した。
奥田英朗も上記の人らと同じく一時期はまった作家だ。『イン・ザ・プール』、『空中ブランコ』、『町長選挙』といった一連の「伊良部シリーズ」や、さらに『最悪』や『邪魔』などもおもしろかった。
奥田英朗はエッセイも好きで、中でも『延長戦に入りました』という作品に関しては、以前、このブログでもネタにさせてもらった。
で、ブックオフで見つけたのは『田舎でロックンロール』という作品であった。
店内で軽く立ち読みしてみたところ、奥田英朗の音楽遍歴を辿った自伝的エッセイらしい。そのままレジへ持っていき購入し、さっそく家に帰って読んだ。
とてもおもしろかった。
中一で音楽に多大なる関心を寄せるようになった「オクダ少年」は、歌謡曲からはじまり国内のフォークミュージック、さらに洋楽のポップス、そして最終的に洋楽ロックにのめりこんでいく。いち音楽リスナーとして、そしてひとりの人間として「オクダ少年」が成長していく様が歯切れのよいリズミカルな文章で鮮やかに描かれており、読後はじつに爽快な気分になった。いやあ、素晴らしい。
私は奥田英朗とは世代も違うし音楽に関する趣味嗜好もかなり異なるが、ひじょうに熱のこもった体験談であるぶん、ヘタな音楽評論よりも読み応えがあるし、ロックの参考書としてもタメになる部分も多い。じっさい本書で絶賛されているザ・バンドの『ロック・オブ・エイジズ』や、ジェフ・ベックの『ブロウ・バイ・ブロウ』など、これまで頭の片隅にありながらもなんとなく手が伸びなかった名盤にも俄然興味が湧いた。
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1975年、高校受験を間近に控えた「オクダ少年」のもとにあるビッグニュースが舞い込んだ。クイーンの初来日公演である。
「オクダ少年」はチケットを無事ゲットし、来日公演を観に行くことになった。その部分の記述も興味深い。
客電が落ち、場内が真っ暗になる。キャーッという少女たちの悲鳴が場内にこだまする。
(中略)多くの客がステージに殺到していた。わたしも席を立ち、通路を走った。場内騒然。そしてステージが真昼のような照明を浴びたとき、フレディが翼を広げ(そういう衣装だった)中央で仁王立ちしていた。向かって右には長身のブライアン・メイ、左にはジョン・ディーコン、後方一段高い所にはロジャー・テイラー。わたしは椅子を乗り越え、人をかき分け、ステージ正面十メートルくらいの場所にいた。ワオ。本物のクイーンがすぐそこにいる。フレディが口から飛ばすつばきまで見える。オクダ少年は感激でオシッコちびりそうだった。
今でこそ世界的なロックバンドとして認知されているクイーンであるが、一番最初に人気に火が付いたのはこの日本であるというのは有名な話だ。私はクイーンの音楽はまともに聴いたことはないのだが、当時のファンの熱狂ぶりが鮮明に伝わってくる臨場感溢れる記述には思わず胸が熱くなった。
解散から2年経った1972年におけるビートルズの立ち位置に関する記述もおもしろい。
わたしより十歳ほど上の、ビートルズをリアルタイムで聴いて来た先輩方の証言が興味深く、コアなファンだった人ほど、「ビートルズ世代なんてものはなかった」と言い切るので、世の中とはそういうものなのだろうなあと、深く納得する部分がある。
「ビートルズを聴いている奴なんて学年に二人か三人。割合で言えば1パーセントかそこら。それを“世代”と呼んでいいと思うか? レコードだって日本では売れてなかったんだぞ」
御説ごもっとも。多くの伝説は、終わってからせっせと創られるものなのである。便乗する人もいるだろうしね。
(中略)「ビートルズの冒険」という長い試験が終わり、一息ついた後、みんなで答え合わせを始めた。それが1972年頃。だいたい『リボルバー』以降のビートルズは先を行き過ぎて、「きゃーっ、ポールゥ!」といった類のファンはついて行けなかった。やっと落ち着いて聴き直す時が巡ってきたのだ。
「日本でリアルタイムにビートルズを聴いている人間など、ほとんどいなかった」
という衝撃的な証言である。
もっともこの証言に関しては、大のビートルズマニアとして知られる音楽評論家の松村雄策氏も同様のことをご自身の著書の中で記していたのを以前読んだ記憶があり、なんだか腑に落ちるものを感じた。
おそらく奥田氏や松村氏がおっしゃっていることが「正解」だろう。まだロックことなどよくわからなかった人が多数を占めていたであろう当時の日本において、『リボルバー』や『サージェント・ペパーズ』といった実験的な作品が多くの人々に理解されていたとは到底思えないからだ。
ちなみにその頃のジョン・レノンは今のように神格化されておらず、「変な日本人女にたぶらかされた困ったスターというポジション」であったとのこと。
たしかに死んでから伝説になるというのは今もおんなじだ。これまた妙に納得した。
……という感じで、単純にロックのエッセイとしてももちろん、当時、日本人の間で洋楽のロックがどのように受け入れられていたのかを検証できる貴重な歴史資料としても楽しめるのがこの本ならではの魅力であろう。
さらに興味深かったのが「海外ミュージシャンのめちゃくちゃなカタカナ表記」についての記述だ。
(前略)あの頃は日本人全体が英語に弱くて、ひどいカタカナ表記もずいぶんあった。ジャニス・ジョップリンを「ジャニス・ジャップリン」とかね。明らかに俳優チャーリー・チャップリンの姓に引っ張られたものと推察される。ボブ・ディランだって「ボブ・ダイラン」時代があったのだ。
(中略)ダイアナ・ロスのいた女性コーラス・グループSupremesがあった。今なら中学生でも「サプリームス」と読めるだろう。それをいったい誰が「シュープリームス」なんて表記にしたのか。
この部分を読んで真っ先に頭に浮かんだのがニルヴァーナのカート・コバーンである。
カート・コバーンの正確な綴りは「Kurt Cobain」であるわけで、奥田氏ふうに言うなら「中学生でも“カート・コベイン”と読める」だろう。じっさい、レッチリの「カリフォルニケイション」という曲の歌詞の中にカートが登場する部分があるが、どう聴いても「♪コーベイン・キャン・ユ~」と歌っている(下PV、2分23秒の箇所)。
おそらくカートの場合もジャニス・ジョップリンと似た理由で、俳優のジェームス・コバーンの姓に引っ張られたものと推察される。『ミュージック・マガジン』などの硬派な音楽雑誌は「カート・コベイン」表記である場合が多いが(ライターによっては“コバーン”と表記している人もいる)、日本人のロックファンの間で圧倒的に認知されてしまっているのは「カート・コバーン」という明らかに誤った表記だ。
「カート・コベイン」と「カート・コバーン」じゃ、「水野美紀」と「水野真紀」と同じぐらい似て非なるものである。なによりミュージシャン本人に失礼だ。昔も今もロック界隈の仕事についている者らはいいかげんなものである。猛省していただきたい。
さらにカート繋がりで言えば、ニルヴァーナのライブ盤『Live And Loud』にてデヴィッド・ボウイの「世界を売った男」を演奏する際、カートは
「ディス・イズ・ザ・“デイヴィッド・ブーイ”・ソング」
と口にしている。
もう耳にタコが出来るほど繰り返し聴いた曲だが、私の怪しいリスニング力をもってしても明らかに「デイヴィッド・ブーイ」と言っているふうに聴こえる。
「デビッド・ボウイ」でも「デイヴィッド・ボウイ」でも、ましてや「デヴィッド・バウイ」(by高野拳磁)でもなく、「デイヴィッド・ブーイ」だ。
果たしてどれが正解なのか。ここに来て、「誤“ボウイ”、正“ブーイ”問題」が持ち上がった格好だ。
ただ、そんな私でも、キング・クリムゾンのことをたまに「キング・クリムズン」などと表記している音楽雑誌を見かけたときは、ちょっとそれはどうかと思わないでもない。
以前、キング・クリムゾンのドキュメンタリーがBSでやっていたのでなんとなく観た。その番組にはバンドの関係者が出演しており、クリムゾンの名前を言葉に出していたが、「ゾ」とも「ズ」とも聴き取れる、言うならばその中間のような発音だったからだ。
無理に日本語にするなら、「キング・クリムズォン」という感じであろうか。
これぐらいだったら、すでに大方のロックファンに浸透している「キング・クリムゾン」でいいのではなかろうか。
だいたい、「クリムズン」って、ドラクエ世代としては
「いや、ベホマズンじゃないんだから…」
と、つい突っ込みたくなってしまうのだ。
いや、まあ、余計なお世話でしょうけど。
とはいえ、音楽じゃなくて映画の話になってしまうが、ブルース・ウィリスのことをいまだに「ブルース・ウィルス」と言っている人は許せない!
「いや、菌じゃないんだから!」
と言いたくなるばかりだ。
ブルースが怒って国際的な問題に発展してしまう前に要改善必至の案件だろう。
なんていう、どうでもいい話で終わってしまった。
なんにせよ、『田舎でロックンロール』、ロックファンなら必読の書である。