仁王立ちへの信頼

このところ私は「仁王立ち」について真剣に考えている。

「仁王立ち」

なんといっても、ふつうの「立ち」ではないのだ。「仁王」なのである。ポーズとしても字面的にもなんだかやたらと自信満々といった調子だ。

コトバンクで「仁王立ち」を引いたら出てきた文言が以下である。

 

仁王の像のように、いかめしく力強い様相で立つこと。

 

なんて偉そうなんだ。これほどまでに偉そうな様相があるだろうか。

では、「仁王立ち」という言葉から誰しもがイメージするものとはなにか。むろん、ラーメン屋の店主である。

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そもそも、なぜ、ラーメン屋の店主は揃いも揃って仁王立ちなのか。ラーメン屋を紹介する内容の専門雑誌をめくると、店の概要とともに腕を組んで仁王立ちをしている店主の写真がお決まりのように掲載されているのだ。
そんなに偉そうな感じに見られたいのかおまえらは。
まあじっさいに偉そうに見られたいから仁王立ちをしているのかどうかはわからない。わからないが、いや、あんた、べつにそんなに偉そうに仁王立ちしなくたってさ、なんというか、だって、その、あれだよ、たかがラーメンじゃないか、と、つい言いたくなってしまうのだ。
とはいえ、だからこそ人は、「この店は美味いはずだ」と思うのだろう。大勢の客がやってきて、繁盛するのだろう。なぜなら、もしもその店のラーメンが不味かったとしたら、客は
「詐欺だ!」
と憤慨するだろうからだ。
「仁王立ちしているくせにこの味はなんだ! まったく、偉そうにしやがって!」
こうして客は寄りつかなくなり、まもなく店は潰れる。
だからこそ仁王立ちにはそれ相応の覚悟が必要であるはずだ。
つまり、「仁王立ち店主が経営しているラーメン屋」=「美味いラーメン屋」と思って間違いない。間違いないはずだ。
それにしても、仁王立ちがほぼほぼラーメン屋の店主に限られているのはなんだかさびしい気がする。
どうせなら私はもっといろんな仁王立ちを見てみたい。
たとえば、店主がばっちり仁王立ちできめている文房具があったっていい。
不意に手にした文房具雑誌をめくってみたら、というか文房具雑誌なんてあるのかよくわからないが、とにかく仁王立ちしている店主の写真が掲載されているのである。
こんなに偉そうな文房具屋があるだろうか。じつに頼もしいばかりだ。さそがし立派な文房具が売られているに違いないのだ。