「2位じゃダメなんでしょうか?」
という言葉を元タレントの女性国会議員が発したことが話題となり、渋谷のヤマンバギャルを中心にナウいヤングたちの流行語としてダッコちゃん的な大フィーバー状態となったのは記憶に新しいが、じっさいのところ2位じゃなくて1位じゃなければダメなんだろうかと今にして思う。
私は競争意識が著しく低い人間なので、たとえなんのジャンルであろうと1位だろうが2位だろうが1276位だろうがどうでもいいと思うが、しかしながらアスリートの場合はそんな悠長なことは言ってられないだろう。2位で満足していてもそれなりのアスリートにはなれるかもしれないが、おそらく一流のアスリートにはなれないはずだ。ましてや1276位で満足するアスリートはもはやアスリートではない。単なる「趣味でスポーツをしている人」である。
一方で肛門の皺の本数だったらどうか。それこそ1位だろうが2位だろうがどうだって良いのではないか。そんなもんを競争してどうするんだ。むしろ1276位で満足すべきだと私は言いたい。
まあ、順位はともかくとして、それにしてもあれはよく考えたらまずかったんじゃないかと思うのが私の子ども時代の話だ。
小学校低学年時、新学期となり初登校した当日のことである。教室には新しい担任の先生と新しいクラスメートたちが一堂に会していた。もちろん、ほとんどが見知らぬ人間同士なので、教室内には少々ぎこちない空気が漂っていた。
担任の先生は軽く自己紹介をした後、クラスの出席簿を取ると、唐突にこう言った。
「よし、じゃあ今日は先生がみんなのニックネームを決めよう」
おそらく、場を和ませるための先生なりのテクニックだったのだろう。たくさんいる生徒の名前を手っ取り早く覚えられる、という合理的な理由もあったのかもしれない。
「稲垣くんはそうだな……、うん、“いなっち”だな。宇田川くんは……“うーちゃん”だ」
ニックネームが次々と決まっていく。私も周りにいるクラスメートたちもワイワイガヤガヤと楽しげに先生の話を聞いていた。
ところが、和やかに行われてたニックネーム命名の儀の時間に突如として問題が起きた。松野くんと松山くんの「ニックネームかぶり」が勃発したのだ。
「松野くんは“まっちゃん”。で、次は松山くん……いや困ったな、松山くんも“まっちゃん”になっちゃうな」
いまだったら、
「いや、“まっつん”とか“まつどん”とか、なんかその、いろいろあるじゃないか」
と突っ込みを入れたくもなるが、当時の私は幼い子どもだった。むろん反論の声を上げる生徒も誰一人いなかった。
先生の頭には「まっちゃん」しかなかった。なぜだか「まっちゃん」に固執していた。そして、導き出された解決策がこうだ。
「よし、松野くんは“まっちゃん1(ワン)”、松山くんは“まっちゃん2(ツー)”だ」
言うに事欠いて人を番号呼ばわりだ。
ポリコレ問題で厳しいいまの世の中だったら保護者ならびにPTAから即刻糾弾される事案であろう。だが、当時は誰も問題には思わなかった。先生にも悪意はいっさいなかった。なかったはずだ。もちろん、我々生徒たちもまったく疑問を感じることもなかったし、なにより小学生であり純粋だった。なので、もちろん呼んだ。
「まっちゃん1(ワン)」
「まっちゃん2(ツー)」
ときには略してこう呼んだりもした。
「1(ワン)」
「2(ツー)」
繰り返すが、悪意はいっさいなかった。
果たして番号呼ばわりされていた「まっちゃん」両者の胸中はいかがなものであったであろうか。
「1(ワン)や2(ツー)じゃダメなんですけど……」
番号呼ばわりされても常に笑顔を浮かべていた2名の「まっちゃん」であったが、もしかしたらじつはそう言いたかったのかもしれない。