マニュアルは便利だが、ときに世の中を窮屈にさせる

コンビニでもスーパーでも書店でもいいが、そこで働いている店員に「個性」は必要だろうか。

基本、いらないと思う。

まず、接客に個性はいらない。マニュアル通りに接客してくれたほうが、客側の立場からしてもスムーズにことが運ぶからだ。

さらに言うなら、「個性的な容姿」はもっといらない。

「個性的な容姿」の店員は、自分で自分の首を絞めることになるからである。

もう随分昔のことだ。

私は友人とリサイクルショップを巡るのを半ば日課としていた。

私のお目当てはCDと古本と映画のDVDで、友人のお目当てはCDと漫画のコミックとゲームだった。ほんとうにいろいろな店に通った。

数多く通ったリサイクルショップの中に、ひときわ個性的な容姿を持つ男の店員がいた。

やたらと長髪の男だった。サラサラの長い髪をゴムで束ねていて、後ろから見ると尻のほうまで伸びていた。細長い釣り目の男だった。

一目見て、我々は思った。

ラーメンマンだ!」

 

 

まさしく「ラーメンマン」と呼ぶしかない容姿の店員だった。

額に「中」と書かれていたら、それこそ実写版「キン肉マン」の出演オファーが舞い込むんじゃないかと思えるほどものすごくラーメンマン顔した店員だった。

「よし、今日もラーメンマンショップに行こうぜ!」

やがて我々がその店に通うのは、ラーメンマン顔した店員の彼に会いに行くことが半ば目的と化すようになっていた。

だが、時が経ち、気づいたらラーメンマン顔の彼は店から消えてしまった。

いつ行っても見かけなくなってしまった。

「きっとモンゴルマンになって帰ってくるのだろうな」

我々は期待してその時がやって来るのを待ったが、結局、ラーメンマンの彼はモンゴルマンとして帰ってくることはなく、やがて店も潰れた。

彼がラーメンマンを彷彿とさせる「やたらと個性的な容姿」じゃなければ、私はいまになって思い出すこともなかっただろう。

いずれにしても、店員たるもの個性的な容姿は控えるべきである。客に無駄に覚えられてしまうだけだからだ。

「目立ちたい」という欲求があるのならば無理には止めないが、無難に業務をこなしたいのなら「普通の見た目」という「マニュアル」を遂行すべきである。

ただ、ときには「マニュアル破り」も楽しい。

先日、コンビニへ公共料金の支払いをしに行ったときのことだ。

外国人の店員だった。

レジで支払い用紙を渡して金を払う。あとは彼がストアスタンプを押して、控えの用紙をこちらに手渡せばおしまいである。

そのときだ。

「チョット待ッテネー」

マニュアルどおり口にするなら

「少々お待ちください」

になるはずだ。

なんだかおかしくて笑った。

マニュアルはたしかに店側・客側、双方にとって便利だが、マニュアルこそが世の中を窮屈にさせているかもしれない。

なんてことを思ったのだった。