リフォーム会社で職人として働いている知人がいるのだが、この間、よくわからないお客に出会ったという。
その日も彼は、いつものように仕事をしに、朝、客の家へ出向いた。
「ピンポーン」
家のチャイムを鳴らすと出てきたのは70くらいのおばはんだった。
「おや、ご苦労さん。ほれ、おなか減ってるでしょ。パン食べな」
おばはんがくれたのはカレーパンだった。スーパーとかで売っている、なんの変哲もないカレーパンである。
その後にやってきた大工のおっさん、営業担当で現場の責任者でもある女にもおばはんは
「ほれ、大工さん、パン食べな」
「おねえちゃん、パンあるよ。食べな」
みたいに、やはりスーパーなどで売っている焼きそばパンやメロンパンなどを猛烈な勢いで勧めてきた。
15時の休憩をとっているときや、仕事を終えて帰ろうとする際、客から「ご苦労さん」みたいな感じでお菓子や缶コーヒーなどを手渡されるのはその世界ではよくあることらしいが、このおばはんがちょっと変わっていたのは
「しょっぱなからパンを勧めてくる。しかも、すぐに食うことを強要してくる」
ことだったという。
だが、このおばはんは「ちょっと変わっている」どころではなかった。
「かなり変だ」
知人がそう確信したのは、さらにその後やってきた壁紙の職人にパンを勧めている光景を見たときだった。
「ほれ、おにいちゃん、パン。食べな」
「あー、だいじょぶです。えーっと、とりあえず作業を始めないと…」
知人は、壁紙の職人の様子がいつもと違っていることにすぐに気がついた。なんだかひどくつらそうな顔をしていたからだった。
話をしてみてわかった。
いまさっき、壁紙用の機械を持ち上げようとしたところ、いきおいあまって腰を痛めてしまった、とのことだった。
「腰が痛くて、おばはんが勧めてくるパンを、つい、むげに断ってしまった」
ようするに、それどころではなかった、ということだったのだろう。
だが、この対応がおばはんの「パン熱」に油を注ぐ格好となってしまった。
「パン、おいしいのにねえ…」
パンを受け取り食べてくれなかったのがよっぽど悔しかったのか、その後もおばはんは職人たちがリフォーム作業をしている部屋の隣にある居間でテレビを見ながら蚊の鳴くような小さな声でぶつぶつとひとり呟いていた。
ほかの者たちは聞こえてないふりをして無視した。壁紙の職人がとにかくつらそうにしていてパンを食うどころではないことはわかっていたからだ。
だが、しばらくするとひとりだけ空気を読めてなかったおばはんもさすがに壁紙の職人の様子がおかしいことに気がついた。
おばはんはこう声をかけたという。
「なんかおにいちゃんたいへんそうだけど。どこか痛いの?」
「はい、ちょっとさっき腰をやっちゃって…」
「なんだ、そうなんだ。ははは。パン食べればいいのに。ほれ、食べな。よくなるよ」
とことんパンである。
「パン食って腰がよくなるなんて聞いたことねえよ」
周りにいる誰もが心の中で突っ込んだ。
「すいません。また明日来ますんで…」
結局、壁紙の職人は腰のため早めに仕事を切り上げ帰っていった。
「パン食べればよかったのに…」
壁紙の職人がいなくなったあとも恨み節のようにおばはんは呟いていたという。
もはや宗教である。
「パン教」と呼ぶべきか。