俺の死に装束はタキシードにしてほしい

少々古いネタになってしまうが、先頃開催されたアカデミー賞の授賞式でウィル・スミスがクリス・ロックをビンタした事件は我が国でも大きな話題となった。

事件当日、Twitterに件の動画がアップされていたので再生してみたら驚いた。

「まさかこんなことが起こるなんて…」

と率直に思った。

だがその後、テレビの報道番組などでも繰り返し流されていた「ビンタ映像」を眺めていたら、「華やかなアカデミー賞の授賞式の壇上でタキシード姿でばっちり決めた司会のオッサンがおもいっきりビンタされている」という光景があまりにも非日常的すぎて次第に笑えてくるようになってしまった。

「オッサンがオッサンをビンタ」、しかもビンタの現場があろうことか「アカデミー賞の授賞式の会場」であったことがツボにはまったポイントだが、しかしそれよりも私が着目すべきと思うのは「タキシード」である。

 

どうもタキシードってやつはいけない。あの「めでたい感じ」が、ことによると人をマヌケにさせる。なによりあの蝶ネクタイがより一層いけない。「めでたさ」に拍車をかける。じつにマヌケである。というか、馬鹿に見えてしまう。

「ちょっと腰が痛むんすよね…」

という理由で町の整形外科へ行ったとしよう。

「では、レントゲンを撮りましょう」

タキシードを着た医者が言う。襟元の蝶ネクタイに嫌でも目が行く。

「こんなやつに任せていいのか…?」

誰もがそう思うに違いない。

「タキシード姿でフィルダースチョイスを決める野球選手」

「ケンカのあと、緩んだ蝶ネクタイを締め直すヤンキー」

「交通事故の相手がタキシード」

だめだ。馬鹿にしか見えない。

先日、家の近くにドミノピザがオープンしたのでテイクアウトを頼むことにした。店に入ったら店員たちが頭に王冠のようなものを被っていてちょっと面食らってしまった。

どうやらオープン記念ということで被っていたらしい。なぜ王冠なのかよくわからなかったが、なんだかどうもマヌケに見えてしまった。タキシードじゃなかっただけマシと考えるべきか。

ところで「王冠にタキシード」はある意味「最強」ではなかろうか。そんな「最強」は欲しくないが。