今朝、出勤前に寝ぼけまなこで朝のワイドショーを見ていたら画面に川淵三郎氏が映った。で、その光景をボケーっと眺めていたら、氏のことをアナウンサーが「川淵三郎村長」と呼んでいてびっくりした。
「は?」
と一瞬思ったのだが、なんでも来年開催予定である東京オリンピック&パラリンピックの選手村の村長に昨年就任されていたそうだ。なので現在の肩書きは「川淵三郎村長」らしい。
私が川淵三郎氏を知ったのはJリーグ開幕前後のころだったはずだ。
当時の川淵氏は、たしかこう呼ばれていた。
「川淵チェアマン」
さらにそれからしばらく経つと、今度はこう呼ばれるようになっていたと記憶している。
「川淵キャプテン」
つまり、私にとって川淵氏は、まずJリーグの「チェアマン」として認識され、その後いつまにか「キャプテン」に昇格していて、さらにサッカー協会を辞した現在、気づいたら「村長」になっていた人物である。
なんて肩書きが多い人なんだ。
だが、今になって私は猛烈に反省している。
甘かった。
そう言わざるを得ない。
なんだか気になったのでウィキペディアで調べてみた。
驚いた。
というわけで、ウィキペディアで確認できた川淵氏の肩書きを以下に記載する。ただし、あまりにも多すぎるので「キャプテン」以降に限定させていただくことをどうかご容赦願いたい。
・2002年7月、Jリーグチェアマン退任。後、日本サッカー協会会長(キャプテン)に就任
・2008年6月、3期6年務めた日本サッカー協会会長を退任、名誉会長に就任。
・2010年9月、日本サッカーミュージアム館長に就任。
・2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。
・2011年6月、東京都教育委員に就任。
・2012年3月、心の東京革命推進協議会会長に就任。
・2012年4月、JFAアカデミー堺スクールマスターに就任。
・2012年6月、日本サッカー協会名誉会長を退任し、同最高顧問に就任。
・2012年11月、東京都教育委員を退任し、東京都知事選に出馬する猪瀬直樹選挙事務所の選対本部長に就任。
・2013年3月、公立大学法人首都大学東京理事長に就任。
・2015年1月、国際バスケットボール連盟主導で設立された日本バスケットボール協会改革のためのタスクフォース「JAPAN 2024 TASKFORCE」のチェアマンに就任。
・2015年4月、一般社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事長に就任。
・2015年5月、日本バスケットボール協会会長に就任。
・2015年5月、日本トップリーグ連携機構会長に就任。
・2016年6月、日本バスケットボール協会会長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任。
・2018年3月、日本サッカー協会最高顧問を退任し、同相談役に就任。
・2019年3月、一般社団法人大学スポーツ協会顧問に就任。
・2019年12月、東京オリンピック・パラリンピック選手村村長に就任。
つまり、「川淵キャプテン」後の肩書きを簡潔にまとめるとこうなる。
「川淵キャプテン」
↓
「川淵名誉会長」
↓
「川淵館長」
↓
「川淵非常勤理事」
↓
「川淵教育委員」
↓
「川淵心の東京革命推進協議会会長」
↓
「川淵スクールマスター」
↓
「川淵最高顧問」
↓
「川淵本部長」
↓
「川淵理事長」
↓
「川淵チェアマン」
↓
「川淵理事長」
↓
「川淵協会会長」
↓
「川淵連携機構会長」
↓
「川淵エグゼクティブアドバイザー」
↓
「川淵相談役」
↓
「川淵顧問」
↓
「川淵村長」(←イマココ)
とんでもないことになっていたのだ。
恥ずかしながら私は知らなかった。もはや「肩書きの王様」じゃないか。
こうなると気になるのが川淵氏の今後の肩書きだ。予想してみた。
・「川淵酋長」
・「川淵園長」
・「川淵書記長」
・「川淵アンゴラ村長」
・「川淵大名」
・「川淵将軍」
・「川淵元帥」
・「川淵大将」
・「川淵スーパーバイザー」
・「川淵オーガナイザー」
・「川淵コーディネーター」
・「川淵メンバー」
・「川淵司会者」
・「川淵ギタリスト」
・「川淵フードファイター」
・「川淵ドリーマー」
・「川淵プロファイラー」
・「川淵M-1ファイナリスト」
・「川淵M-1王者」
疲れた。おしまい。