人間と動物はおなじ生き物ではありますが異なる点が多々あります。
たとえば人間は喋りますが、動物は吠えたり喚いたり鳴いたりはしますが喋りません。人間は文字や絵を書いたりしますが、動物は絵や文字を書くことはありません。人間は車を運転したり、あるいはパソコンやスマホやタブレット等を使ってアマゾンにアクセスし便利な物を購入して自主的に日々の生活を豊かにすることができますが、動物はそんなことはできません。
まだまだあるでしょうが、そんな中でも人間と動物が大きく異なっている点といえば「羞恥心があるかないか」ではないでしょうか。
人間はなんらかの衣服を着用していないと基本的に生きていくことができません。しかしながら動物はちんこもまんこもアナルも丸出し状態で生活を謳歌しているわけで、人前でフツーに小便もうんこもすれば挙句の果てには交尾だってヘーキでします。
犬でも猫でもいいですが、たとえばうんこをしている最中の彼・彼女らの顔をじっとごらんになってください。
人間のように頬を赤らめて恥ずかしがる犬や猫がいるでしょうか。
「うんこしてますけどなにか?」
むしろ、そんなようなちょっとしたケンカ腰な風情さえ漂わせているようにすら感じられます。
人間はこうはいきません。なにしろ、人前で糞をひり出しているのです。
恥ずかしくてそんなことできるわけないじゃないですか!
というか、「人前で糞をする」という発想自体がまずありえません。
そこには羞恥心のかけらもないのです。
そういえば、以前なにかのテレビ番組を見ていたら動物園のゴリラが出ていたのですが、ゴリラは機嫌が悪いとき、檻の外にいる人間に向かって己がひり出した糞を投げつけてくることがあるそうです。で、糞まみれの手をもちろんハンドソープで念入りに洗うなんてこともせず、そのままバナナを頬張ったりします。
つまり、馬鹿です。
馬鹿ですが、動物の行動それ自体にいちいち「可愛く見られたい」とか「偉そうにせねば」などという打算は一切ありません。
ああ、動物っていいなあ、と思うのです。
羞恥心があるからこそ人間にはプライドが育まれます。
「立派な人間に見られたい」だとか「かっこよく見られたい」だとか、ようするに社会的に認められるために、周りの人から「ああ、こいつは恥ずかしい人生を送っているやつだな」と思われぬよう努力します。
それ自体はいいことなのでしょうが、弊害も生まれます。
つまり、「恥をかくのを極力避けて生きてきた結果、無駄にプライドが高くなりすぎた人間が出来上がってしまう」という悲劇が生まれます。
こういう輩は基本的になんらかの失敗を犯したとしてもそれを認めようとしないから厄介だったりします。とくにそれなりの役職に就いてるおっさんはこのタイプが多いように感じられます。
「スーツっていらなくね?」
と、ふと、いち社会人としてあるまじきことを考えてしまいました。
あの、いかにもパリっとした感じがどうもいけない。
襟元がだるだるのランニングシャツに短パン姿で商談に向かうサラリーマンがいたっていいではないか。なんなら、短パンから金玉がそっとはみ出てたっていいじゃないですか。
「あっ。金玉出てますよ!」
あなたははみ出ていた金玉をそっと短パンの中に戻すでしょう。
「うわっ、恥ずかしい! あにやってんだよ俺は!! ダサっ! 俺、超ダサっ!!!」
そして、まとまるはずだった商談も破談になります。
もちろん、金玉がはみ出ていたせいで会社もクビになるでしょう。
あなたは人生のやり直しをする羽目になりました。それもこれも金玉のせいです。
だがしかし、それがなんだというのか。
「気軽に金玉も出せないこんな世の中じゃポイズン」
むしろそう高らかに歌い上げるべきではないでしょうか。
たしかに恥ずかしいです。恥辱のきわみです。
とはいえ、なにしろ金玉が原因でクビです。恥や外聞や無駄なプライドは一気に霧散されるでしょう。
そして恥も外聞も無駄なプライドも一切なくなったあなたは、文字どおり「まっさらな人間」になります。
当然、地位も名誉もありません。ですが、なにしろ「金玉が出ていてクビになった男」です。もはや失うものなどないのです。
「俺はなんだって出来るぞ!!!」
そんな力強ささえ生まれてくるはずです。
かくして、あなたは次なる人生のスタートを歩むことになるでしょう。
そう。まさに動物のようにピュアな愛される存在として…。
「続・金玉が出ていてクビになった男」
次回をご期待ください。