テレビの生番組出演中に共演している女子アナへのセクハラ疑惑がかけられたり、息子が窃盗で逮捕されたりした結果、ここ数年はテレビであまり見かけることがなくなっているみのもんたですが、ひさしぶりにちょっとした騒動を起こしたみたいです。
詳細は上にあげたリンク先のページに掲載されているのでそちらを一読していただければよろしかろうと思いますが、いちいち読むのがかったるいという人のためにかなりざっくり気味に説明すると、ようするに
・ 前述のセクハラ被害を受けたとされている女子アナが結婚を発表。
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・「ご結婚、おめでとうございます。あなたを女性にしたのは私ですから、ハハハ。よかったねぇ」と、みのがジョーク混じりの祝辞を送る。
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・「キモイ!」「こんな上司がいたら私なら仕事を辞めます」などなど、ネット民から非難が殺到。
というような流れになっているみたいです。
個人的には、みの特有の、なんだか大盛り天丼とメガマックを同時に食うハメになってしまったような脂ギッシュな胸焼け感がどうにも苦手であり、テレビで見かけると即座にチャンネルを変えてしまうほどだったので、そういった意味ではみのを見かけなくなったここ数年はとてもありがたく思っています。とはいえ、テレビ画面の中でみのが繰り出す圧倒的な「顔面力」には、みのが苦手な私も思わず感心させられてしまうばかりでした。
「顔面力」とはなにか。
それを説明するのには、まず、私とみのとの「ある関わり」について話をしなければならないでしょう。
そもそも、みのの「顔面力」のすさまじさに私が気づいたのは、以前ブログでいつものようにふざけるために、某テレビ番組に出演していたみのの顔面を「素材」として使わせてもらったことがきっかけでした(以下エントリー参照)。
※サンプルA「怒り」みの
※サンプルB「笑い」みの
※サンプルC「嘆き」みの
※サンプルD「考え」みの
※サンプルE「呆れ」みの
※サンプルF「はしゃぎ」みの
※サンプルG「食い」みの
※サンプルH「飲み」みの
※サンプルI「ん?」な、みの
※サンプルJ「さあ~て、今日は仕事早く終わりそうだから渡と一緒に飲みにでも行くか~。あっ、でもその前にソープで一発ヌクのもいいナ!」な、みの
いかがでしょう。この、じつにバラエティーに富んだ表情の数々。
たった1・2時間そこいらの番組において、顔面のみでこれほど壮大な「ドラマ」を作り出せるのは、芸能界広しといえども、みのをおいてほかにいないのではないでしょうか。
日本人のほぼ無意識下の内に潜在している美的感覚のひとつに、「あまり感情をおもてに出さない」というのがあるのはよく知られていることです。
楽しいときはハメを外さない程度に、苦しいときはじっと耐える。
そういった美的感覚が、先祖代々長きに渡って受け継がれてきました。
ところが、みのの場合、そんなことはお構いなし。オーバーアクションの本場・欧米人もビックリ仰天するであろう、なんとも大仰なその「顔面力」で、怒り、嘆き、呆れ、そして深く考え込むのです。
これこそが、久米・古館・福沢らには到底真似できぬ、というか恥ずかしくてやろうとしない、みのならではの独壇場的芸当であり、また、かつて義理人情に厚い男として世の奥様方から愛されていた理由なのでしょう。いま話に出た古館伊知郎ふうに表現するなら、「まさにひとり顔面エンターテインメント状態」といったところでしょうか。
ひょっとしたら、映画の都ハリウッドのセレブ達と対等に渡り合える日本人、それは「Ken Watanabe」や、「Takeshi Kitano」なんかではなく、じつは「Monta Mino」なのかもしれない。そんな幻想さえ抱いてしまうほどです。
いまこそショービズの本場ハリウッドに身を投じて、アメリカ全土に「みの旋風」を巻き起こしてほしい。そして、そのまま二度と帰ってこないでほしい。
そう願うのは私だけではないのではないでしょうか。