先日、夜の街をバイクで走っていたら暴走族に遭遇した。
「暴走族ってまだいるんだ!」
と、「クララが立った!」並の感動を覚えた私だが(嘘だが)、にしても
「なにが楽しくてこの人らはこんなことをし、いろんな人に迷惑をかけまくっているのだろう」
と、素朴に思った。
「反社会的な行為を平然とやらかす俺カッケー」ということなのだろうか。ようするに「注目を浴びたい」ということなのだろうか。「あわよくば注目を浴びてモテるのでは」という思惑があるのだろうか。
まあ、じっさいにモテるのかどうかは知らない。
知らないが、少なくとも現在のような社会が成立しているかぎり、暴走族自体、年々減少傾向にあるものの、完全に存在しなくなるなんていう日は永遠にやってこないだろう。
では、仮に日本がいま現在とは真逆の価値観で成立しているような、そんな社会がやってきたとしたらどうだろうか。
つまり、まじめに働くことや人に親切にすることが「悪」とされ、逆に、暴力や殺人までもが「善」とされる社会だ。そんな世界に暴走族的な彼らのような人間が突然放り込まれたとして、やはり彼らはおなじようにバイクで夜な夜な暴走行為をやらかしたりするだろうか。
おそらくやらかさないだろう。
なぜなら、そんなことをしても「フツーの奴」としか思われないからだ。
むしろ、暴力や殺人が「善」とされている社会なので「まじめで立派な奴ら」とすら認識されてしまう。いろんなひとに迷惑をかけるのが当たりまえの社会では「このうえなく地味で平凡きわまりない行為をする連中」とされてしまい、結果、注目を浴びるなんてことは一切ないしとくにモテもしない。
もしも将来、我が国がそんな社会になったとしたら、少なくともいま現在存在している「反社会的な行為を平然とやらかす俺カッケー」みたいな暴走族的な連中は確実に絶滅するはずだ。
とはいえ、暴力や殺人行為が肯定される社会というのは悲惨このうえない。暴走族が絶滅したものの、これじゃああんまりだ。
安心してほしい。そんな絶望的な社会などけっして許されるはずがない。『北斗の拳』のケンシロウ的な救世主がきっと現れ、荒廃した日本をふたたび元通りにしてくれるだろう。
こうして以前のような日常が戻ってきた。暴力や殺人が「悪」とされ、人が人にやさしくあろうとする社会である。
平和である。平和だが退屈だ。
「なんかテキトーな悪さをして世間の注目を浴びたい!」
時代は変わっても若者の思いはいつだっておなじである。
やがてある日、バイクで夜な夜な暴走行為をする『特攻の拓』的な若者の集団が現れるだろう。暴走族、復活である。
はた迷惑な連中がまた現れるようになってしまった。やかましいったらありゃしない。ほんとうにいいかげんにしてほしい。
だが、安心してほしい。そんなやかましいことこのうえない連中が大手を振る社会などけっして許されるはずがない。『北斗の拳』のラオウ的な救世主がきっと現れ、混迷する日本をふたたび元通りにしてくれるだろう。
こうして以前のような日常が戻ってきた。暴力や殺人が「善」とされ、人が人に迷惑をかけるのが当たりまえとされる社会になる。もちろん暴走族は即刻絶滅する。
ああ、暴走族がいなくなってほんとうによかった。にしても、たしかに暴走族はいなくなってよかったけど悲惨このうえない世の中じゃないか。
だが、安心してほしい。そんな(以下、無限ループ)。
……と、かなり大雑把に書いてしまったが、たぶんこんなような感じで歴史は回っているのではないだろうか。
まあ、全然違うかもしれませんが。
なんにせよ、地球に生まれてよかった。
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