メシを食いに立ち寄ったレストランが混んでいて、仕方なく順番待ち用の用紙に名前を書き込むときなんかに偽名を使うことがよくある。
「お席をお待ちの“キタベップ”様ぁー。お席の方がご用意できましたぁー」
店内に響き渡る店員の声。
“キタベップ”じゃない俺が、“キタベップ”と呼ばれているその感じに、なんとも言いようのない快感を覚える。
ちなみに“キタベップ”のほかにも、“トマシノ”、“テシガワラ”、“ムラサメ”、“オオニタ”といった偽名をこれまで名乗ったことがあるが、いずれもとくに問題はなかった。
いつか、“アケボノ”、“ゴウダ・タケシ”、“マウナケア・モスマン”あたりの偽名にもチャレンジしてみたいと思うが、さすがにこれらを名乗るのにはかなりの勇気がいる。
あきらかに嘘くさい名前だからだ。
まあ、意味はない。
ただなんか面白いからやっているだけだが、自分では意識していないだけで、ひょっとしたら「別人になりたい願望」みたいなものが俺の中にあるゆえの行為なのかもしれない。
ともあれ俳優という職業は、そういった「別人になりたい願望」を存分に叶えてくれる究極と言えよう。
監督・主演のケビン・コスナーが本作で演じた「別人」は、タイトル通りのポストマン(郵便配達人)。
当然、
「地道に郵便を配達し町の人に感謝され家族も仲良くて良かったね、めでたしめでたし」
というような平凡きわまりない郵便配達人なんかで、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの人気スターであったケビンが満足できるはずがない。
まあ、簡単に説明すれば、元々はダメな奴だったはずが、ひょんなことからエセ郵便配達人になったオレ様であり、たいしたこともとくにしてないのにいつのまにやら伝説の郵便配達人として周囲の人間から崇めたてまつらわれ、国を支配している悪者と対峙できるほどの腕力まで手に入れたうえ、出会う女をたちまち惚れさせるオレ様であって、最終的にはオレ様のアメリカ合衆国万歳という、監督という立場を利用してのやりたい放題、まさにオレ様尽くしの映画であった。
結果は、その年のゴールデンラズベリー賞を5部門獲得するという散々たるもの。
ようするに、
「アンタ、かっこつけすぎ!」
と、総スカンを食らってしまったわけだ。
理由ははっきりしている。
というのは、好き勝手やっても許されるのはスーパースターのみに与えられた特権であり、ようするに「氷室京介って電子ジャーからご飯よそったりするの?」というような、庶民的な行動のひとつひとつにいちいち違和感を持たれるカリスマこそが真のスーパースターなのである。そういった意味で、ケビン・コスナーはスターはスターでも「スーパー」までの存在ではなかったというわけだ。
まあ、ハリウッド広しと言えど、やりたい放題やって批判されないどころかいろんな意味で歓迎される人物なんてセガールぐらいのものだ。
当時あまりにも人気があったのでケビンも勘違いしてしまったのだろう。
べつに同情する気は一切ないが、俳優ってのも大変だなあと思った次第である。