タイトルどおり、「夢は基本的に叶わない」ということを前提にして話を進めていきたい。
というのは、俺には「いくら努力をしても絶対に叶わない夢」があるからである。
それは、人々から「“宇多田ヒカルの再来”と呼ばれること」である。
願わくば「宇多田ヒカルの再来」と呼ばれたい。
長年の夢だ。
「宇多田ヒカルの再来」と呼ばれるためだったら、どんな努力だってする覚悟である。
でも、無理。いくら頑張って努力したところで俺が「宇多田ヒカルの再来」と呼ばれるなんて、それは土台ありえない話。
まず、そもそも俺は歌手じゃない。
歌手じゃない俺が「宇多田ヒカルの再来」と呼ばれるはずがないことぐらい、馬鹿でもおわかりだろう。
ついでに申せば、俺がタクシーの運転手やIT企業の社長であったとして、いつか「宇多田ヒカルの再来」と呼ばれたいという夢に向かってたとえいくら努力しようと、その夢が叶うことはやはり未来永劫にやってこないだろう。
なぜなら、タクシーの運転手やIT企業の社長は歌手じゃないからである。
「だったら頑張って歌手になればいいじゃないか」
と口で言うのはたしかに容易いが、しかしながら俺は「宇多田ヒカルの再来」と呼ばれたいだけであって、べつに歌手になりたいわけではないのだからして、いよいよ事態は混迷を極める次第だ。
まあ仮に俺が宇多田ヒカルばりのクオリティを持った楽曲を自作し、宇多田ヒカルばりの美声でもってそれを歌う……ようするにどこからどう見ても「宇多田ヒカルの再来」と周りの人間が呼ぶしかないような歌手に嫌々ながらもなったとしよう。
しかし、そこまで努力してやったところで、やはり俺のことを「宇多田ヒカルの再来」と誰も呼んではくれないのはわかりきった話だ。
というのは、なにしろ俺は女じゃないからだ。
たとえば、錦織圭選手のことを「伊達公子の再来」と呼ぶ人間がいるだろうか。
大林素子のことを「ジャイアント馬場の再来」と呼ぶ人間がいるだろうか。
つまりはそういうことなのだ。
ならば、ここはおもいきって性転換手術を敢行、つまりとくになりたいわけでもない女、というかオネエに俺が無理矢理なったとしても、せいぜい「IKKO(または、おすぎorピーコ)の再来」と呼ばれるのがオチであろう。悲しいが、それが現実だ。
ついでに告白すると、俺にはもうひとつ夢があり、ズバリそれは「スポーツカーになること」なのだが、この夢もやはり叶うことはないだろう。
そもそも、どうすればスポーツカーになれるのか、頑張りの方向性が皆目見当もつかない。
ジュースの代わりに毎日ガソリンをしこたま飲めばスポーツカーになれるのだろうか。まさか己の体にタイヤやエンジンを取り付けるわけにもいくまい。仮に取り付けたところで、人を乗せて走れるか、甚だ疑問だ。大体、車検は通るのだろうか。無理だろう。
と、冷静に考えれば考えるほど、「頑張って努力すれば、夢は必ず叶う」というもっともらしい格言めいた言葉が、じつはまったくの嘘っぱちであるということがよくわかる。
そんな屁理屈を武器にして明日も生きよう、と思った欝の日。