ある洋服屋店員との闘い

私はわりと簡単に店員に声をかけてしまうタイプの人間である。

たとえば家電量販店ではとくにそうだ。目的の商品が見つからない。すると、

「○○っていうのを探してるんですけど、どこにありますか」

といったふうに、わりと簡単に店員に声をかけてしまう。

もちろん、それなりにちゃんと探すし、それでも見つからないときは、なるべく暇そうにしている店員に声をかけるようにしている。このあと人と会う約束があって急いでいる、とか、やむにやまれぬ事情でごく稀に忙しそうにしている店員に声をかけてしまうこともあるにはある。そういうときにかぎってなぜか目当ての商品がすぐそばの場所に置いてあったりする。

「ほらね、あるでしょ」

とでも言いたげな店員の冷たい視線を感じて(もちろん、ほとんどの店員はにこやかに接してくれるが)、ほんとうに申し訳なく思う私だが、やめるつもりはない。なぜなら、そうしたほうがラクだからだ。

ちょっと前まではこんな人間ではなかった。むしろヤングなころは店員に声をかけるなんて、それこそ清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟が必要なほどシャイなあんちくしょうだった。それがいつのまにかこんな人間になってしまったのだ。

おっさんになって多少なりとも神経が図太くなったからだろうか。それもあるだろう。しかし、それよりもやはり「ラクだから」という理由が大きいように思う。

人間、「ラク」にはかなわない。それは人類の歴史を見れば明らかだ。

などと、もっともらしいことを言って自分を正当化することもなんら躊躇しないほどおっさん化してしまった私である。

とはいえ、勝手なことを言ってほんとうに申し訳なく思うが、逆はいやだ。

「なにかお探しですか?」

などと、店員のほうから声をかけられるパターンだ。

洋服屋へ行ったときはとくに多い。なにか用があるときは遠慮なくこっちから声をかけるのでほっといてくれ、と言いたくなる。

つい先日、某大手シューズ店を訪れた際も、やはり声をかけられてしまった。

「なにかお探しですか?」

「ああ、大丈夫です」

そう返したらあっさり引き下がってくれたので、あの店員は全然問題なかった。

おおいに問題だったのは、オシャレにまだまだ関心があった若いころによく通っていた都内某所に居を構える洋服屋だ。

とにかく、セールストークの教育が徹底されているのか、店に入ったとたん、どの店員も秒単位で必ず声をかけてくるのだ。

「なにかお探しですか?」

はもちろんのこと、

「お客様のインナーの感じでしたら、こちらの色もおすすめですよ」

みたいな訊いてもいないことまでアドバイスしてくるし、挙げ句の果てには

「そのジーンズ、なかなかいい色落ちしてますねえ。どちらで購入されたんですか?」

などと不必要としか思えぬ質問までしてきて、もう、なんというか、ほんとうに勘弁してほしかった。

それでも私は某店に足繁く通った。某店にはお気に入りのブランドの商品が多数置いてあったからだ。いまではそのブランドの商品はググれば簡単に確認・購入することができるが、インターネットなんていうイカした代物はまだそこまで一般的に普及してなかった時代の話だ。

とにかく、ほっといてほしい。俺は自分のペースで洋服を見たいんだ。だが、そのころの私はまだ若くウブでシャイなあんちくしょうだった。

「ああ、大丈夫です」

という、いまだったら躊躇なく言える一言がどうしても言えなかった。

ひらめいた。ウォークマンだ。イヤフォンを耳に装着した状態で店に入ればいいじゃないか。

そうすれば、

「ああ、こちらのお客様はイヤフォンを装着しておられる。音楽を聴いておられるのだな。お声をかけるのはやめておこう」

と遠慮してくれるはずだ。なぜいままで気づかなかったのか。

「さあ、今日からはあの店に行ってもゆっくりと洋服を見ることができるぞ!」

私は大音量の音楽が流れるイヤフォンを耳に装着し、いざ店の中に入った。まさに意気揚々といったテイだった。

例によってお気に入りのブランドが置いてある場所へ一目散に足を運ぶ。秒でこちらへやってくる店員が視界の角に入った。だが、私はイヤフォンを耳に付けている。もう声はかけられまい。ざまあみろ。

しかし、どうも様子がおかしい。店員が離れていった気配がない。

ふと顔を上げた。店員が私を見ながらなにやら口をパクパクさせていた。思わずイヤフォンを外した。

店員は言った。

「お客様、なにかお探しですか?」

ああ、こいつらにはかなわんな、と思った。

もうだいぶ昔の話だが、以来、あの店には行ってない。

 

わが闘争(上下・続 3冊合本版) (角川文庫)

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