「いらっしゃいませ」と言うべき理由

ほんの少し前までは肌寒かったのにすっかり春らしい季節となりました。

というか、今日はひさしぶりにわりと寒かったわけですが、とにかくうららかな陽気とともに新卒の若人たちも社会人生活をはじめたということで世間はにわかに盛り上がっているようです。なにが楽しくて盛り上がっているのかよくわかりませんがとにかく盛り上がっているようです。

私のような人間が新卒の若い人たちへアドバイスをすることなどとくにありません。

まあ、それでもあえてあれするならば以下の言葉になるでしょうか。

 

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「“いらっしゃいませ”と元気良く言いましょう」

です。

もちろん、これは接客をメインとするご職業に就かれた方々へ向けた私なりの一家言です。

なにはともあれ、「いらっしゃいませ」と元気良く言いましょう。飲食店なりアパレルなり漫画喫茶の店員なり、なんでもいいですが、お客さんの姿を確認した際は「いらっしゃいませ」と元気良く口にしましょう。

べつに心なんかこもってなくていいです。むしろ、心のこもった「いらっしゃいませ」なんて重たいだけです。あくまでも個人的な見解なので怒らないで読んでほしいですが、そう思います。とにかく心を殺し、「いらっしゃいませ」と、あらんかぎりに声を張り上げてください。

ひとつおもしろい話をしましょう。

いや、べつにおもしろい話ではないかもですが、とにかく話をさせてください。

昔、とあるラーメン屋へ足を運んだ時のことでした。

その日は休日ということもあって店内は激混みでした。店に入った私は空いている席にそそくさと腰掛けました。

そして、ふと、あることに気づきました。

「“いらっしゃいませ”と言われてないじゃないか」

ちなみに私は「いらっしゃいませ」も、なんなら「ありがとうございました」もとくに必要としていないちょっと頭のおかしいおにいさんなので、

「ほう。“いらっしゃいませ”がないのか。今時めずらしい気骨のあるラーメン屋だな」

と、とくに気にも留めず、むしろ感心すらしたほどなのですが、しばらくしてからなんだか様子がおかしいことに気づきました。

「店に入ったのに店員がお水の配膳はおろか注文さえ訊きに来る気配がない」

その後、わかったことなのですが、どうやら店があまりにも混んでいたのが原因であったようなのでした。

ようするに、「いらっしゃいませ」を頑として口にしない気骨のあるラーメン屋などではなく、客でごった返していててんやわんやの騒ぎで忙しかったため、単に店に入ってきた私の姿を店員さんが確認できていなかっただけだった、というわけです。

上述したように私は「いらっしゃいませ」をとくに必要としていない人間なのですが、件の出来事に遭遇した瞬間、私は目の前の霧が晴れたような気分になりました。

なぜ、人々は「いらっしゃいませ」を求めているのか。

その理由がはっきりと判明したのです。

「ひょっとして、いま、俺が店に入ってきたことをわかってないんじゃないか」

そんな疑念が客の脳裏に浮かんできてしまうのです。

私は若いころにブックオフのアルバイトをしたことがあります。よく知られているようにブックオフは「いらっしゃいませ界の横綱」です。

まず、お客さんの姿を確認した店員が「いらっしゃいませ」と声を掛けます。その後、続いてほかの店員が「いらっしゃいませ」と声を上げます。さらにほかの店員、またほかの店員と次第に輪が広がってゆき、最終的には全然離れた奥のほうで作業している店員も「いらっしゃいませ」と声を張り上げます。

これはブックオフでは「やまびこ」と呼ばれているシステムです。

なにしろこっちは朝から晩まで客を見かけるたんびに「いらっしゃいませ」と連呼するので頭がおかしくなりそうだし、客のほうだって店の人間に見かけられるたんびに「いらっしゃいませ」と声を掛けられてもうざいのでは、と疑問に思えてしかたがなかったのですが、あれは

「ああ、お客さんですね。いらっしゃいましたね。ええ、確認しております。なにか探している商品があったり困ったことなどがあったらいつでも声をかけてくださいね。充分おわかりでしょうが私はここにいますよ」

というアピールの役割を果たしていたのでは、といまにして思うのです。

なので、接客業に就かれた新卒者の皆さんは「いらっしゃいませ」と元気良く言いましょう。「いらっしゃいませ」と元気良く言ってさえいれば大概のことはどうにかなります。なるのではないかと思います。

まあ、私はいいかげん嫌になってブックオフ1カ月で辞めましたが。

そういうこともあります。