スポーツだから

スポーツだから。

という理由で看過されている問題はわりと多い。

本来なら「非常識」「みっともない」とされている多くの事象が「スポーツだから」という理由だけで免罪符にされているのではなかろうか。

「大勢の大男たちがなんだかよくわからないナッツのようなものを地面に向かって吐き出している」

きったねえのである。

たとえば、これがバラエティ番組の一場面であったなら善良な視聴者の方々からのクレームが殺到するはずだ。公共の電波で発信していい絵面ではあきらかにない。

だが、それは野球のメジャーリーグ中継での場面だ。

ベンチに座っている選手たちがひまわりの種を口の中で砕いて吐き出しているのだ。

「きったねえもん撮すな!」

わざわざこのようなクレームを入れる人間なんているはずがない。

スポーツだからいいんだ。スポーツだから許されるのだ。

「2時間ぐらいかけて、ただひたすら走っている」

車を使えばいいじゃないか。自分の車を持ってないんならバスなり電車なりで移動すればいいじゃないか。

だが、そんな至極真っ当な指摘もそれがマラソンの試合だからと言われればぐうの音も出ない。

「スポーツだから」

もはや言い返せる言葉などないのである。

「揃いのユニフォームを着た連中が白球を投げたりバットでポカポカ打ったり、あるいは四角い箱めがけてボールを蹴り合ったりしている」

こんなことを大のおとながオフィス内でやっていたとしたらどうか。

社会的に許される行為であるはずがない。野球やサッカーの試合だからこそ許されるのだ。

「槍や円盤やハンマーなどを出来るだけ遠くへ放り投げる」

人間の能力の限界への挑戦だ。世界中から集まった力自慢のチャンピオンを決めるのだ。

とことん無意味である。

というか、意味なんていらない。

なぜなら、それは「スポーツの試合だから」だ。 

  

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