ユリ・ゲラーのCD

先日の文化の日はとくに予定もなかったので部屋の片付けをしていたら、ある物が見つかった。

 

ユリ・ゲラー

ユリ・ゲラー

 

 

ユリ・ゲラーのCDである。

随分前に渋谷のディスクユニオンで見つけて、つい出来心で購入してしまったものだ。

ああ、懐かしい。

本作品は氏がブラウン管のまえで大活躍されていた当時に発表されたもので、どんな理由があったのか詳しくは知らないし知りたくもないが、CDに同封されているブックレット内の解説文によると、どうやら正式なリリース日から幾年かだか経過した2005年になぜかめでたく復刻・再発売となった一品、らしい。

肝心の内容のほうだが、これがなんて言ったらいいのか、説明するのがひどく難しい。荘厳かつ神秘的なヒーリングミュージック風、もとい、安っぽいムードミュージック風のサウンドが終始展開され、そこにユリ氏のデリケートかつソフトな歌声がたゆたう……みたいな様式の楽曲が居並ぶ代物と言えようか。

というか、いま「歌声」と書いたが、厳密に言えば本作で氏がご披露されているのはいわゆる「歌」ではない。では「ラップ」などというシャレオツでイケイケなスタイルをとってるかというとそんなわけでももちろんなく、「拙いおしゃべり」と言ったほうがよろしい。

というのも、その「おしゃべり」というのが英語ではなく日本語、それも「凄まじくたどたどしい日本語」であるからだ。おそらくは日本のリスナーに言葉の意味を汲み取ってもらおうという氏の心遣いでこういう形になったのであろうが、これがなんてしゃべってるのかよく聴き取れないほど不明瞭な発音なのだ。

つーか、そもそも

「ソレガスプーンデアレ、フォークデアレ、ナンデモイイ」 

 「本当ニオ答エデキナイノデス」

と、一体なにを言わんとしてるのかすらよくわからない。

さらにはあろうことか

「光トナッタ結晶ガ、ワタシノヒトヨ(※筆者注・たぶん本当は『私の瞳』)ヲ開カセル」

と、明らかに日本語でない言い間違え言葉も所々に散見してたりもする、そんな2・3カ月前に来日したばかりでなんとかとりあえず話せるものの語の意味などまったくもってちんぷんかんぷんの外国人が繰り出すようなカタコトの日本語を全曲に渡ってずーーーっとおんなじ調子で「しゃべくりまくる」ユリ氏なのである。しかもおそろしいことに、どうやらこれはギャグなどではなく「マジ」なのだ。

この一風、いや五風くらい変わった、狂気の沙汰としか思えない斬新な音世界を前にして、いったいどうすればいいのか。凡庸な感性しか持ち合わせていない私などにはとてもじゃないが理解できない。

が、それもそのはずである。というのも、前述のブックレットに記されている解説文によれば本作品には

「言葉や音楽などの音以外の力を収録する目的があった」

らしく、さらに

「聴者は、このレコードを聴くことによって、いつでも欲しい超能力を引き出すことができる」

らしい、のだ。

たしかになるほど、聴いていると心なしか頭がぼんやりしてくるというか、意識が遠のいていくというか、あまりのしょーもなさにへなへなと脱力していってしまうというか。

そして、前述の解説文にはこうも記されているのだ。

「ユリ・ゲラー及び関係者はこのCD(実験)から生じるいかなる結果にも責任は負いません」

「金返せ!!」

とは間違っても言えない。

なぜなら、

「ユリ・ゲラー及び関係者はこのCD(実験)から生じるいかなる結果にも責任は負いません」

と、堂々と書かれているからだ。

ほんとうに勘弁してください。