ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンが亡くなってしまった。
享年90歳。
あまりにビッグな人物なので俺から取り立てて言えるようなことはない。
ただ、プロデューサーの重要性が認知されるようになったのはジョージ・マーティンの功績が大きいだろうし、実際、ビートルズのとくに中期・後期にかけての作品は、ジョージ・マーティンがいなければあれだけの素晴らしい内容にならなかったはずだ。
ビートルズとともに素晴らしい音楽をこの世に送り届けてくれてありがとうございました。合掌だ。
今日は音楽界からさらにこんなニュースも届いた。
マジか?
でもまあ、本人も認めているとおり、リアムにソングライターとしての才能はない。これは事実だろう。ビーディ・アイのアルバムは何度も聴いたが、はっきり言ってどこが良いのかさっぱりわからなかったし、オアシス在籍時に発表したいくつかの曲も、なんかいい曲あったっけ? うーん。個人的には「リトル・ジェームス」ぐらいか。
あとは総じてクソだ。リアムふうに言うならファッキンクソな曲ばかりだ。
まあ、兄ノエルと同様、リアムの前言撤回は慣れたものなので、仮にこの報道通り引退を考えているとしてもいつでも復帰は有り得るだろうが、 少なくともノエルのような有能なソングライターと組まないかぎり大きな成功をおさめるのは難しいだろう。
ただしもちろん、ロック・シンガーとしてのリアム・ギャラガーは最高である。
いや、「最高だった」と言うべきか…。
というわけで、以下にオアシスのファースト『ディフィニットゥリー・メイビー』について書いた文章を載せる。随分前にべつのブログに掲載した文章を加筆・修正したものだ。
これぞまさしく、「最高だったころのリアム・ギャラガー」の歌声が聴くことができるアルバムである。
引退報道がマジであれガセであれ、とりあえずまた素晴らしいヴォーカルが聴けるのを気長に待ってます。
世にロックンロールが生まれてから半世紀ほど経つというのに、なぜ、相も変わらずギター・ロック・バンドっちゅうもんは生産され続けるのだろうか。
考えられるのは、やはり、「己の感情を表すのに、もっとも適したスタイル」ということなのだろう。まずはドラムとベースがなければならないだろうし、なんといっても、うるさいくらいにやかましいエレキ・ギターがなければ、やはりだめなのだろう。怒り、鬱屈、夢、希望……そういった己の内にとめどなく湧きあがる激烈な感情を表現するのにもっとも適しているのが、いまとなってはなんの変哲もない、あのスタイルである、ということなのだろう。
たとえばオアシスと同世代のバンドであるブラーやレディオヘッドも、はじめは単なるギター・ロック・バンドだった。けれど、いつまでもおんなじ状態でいられるほど、音楽の世界だって甘くはない。だから彼らは、『OKコンピューター』をつくり、無題アルバムをつくったのだ。もちろん、2つとも素晴らしい作品だ。だからこそ彼らは、本物の実力を持った真のロック・バンドなのである。
それにしても、ギター・ロック・バンドてのは本当に、なんて凡庸きわまりない音楽スタイルなのだろうか。正直、もう飽き飽きしている。なんて書いているいまこうしているあいだにも、それこそ何百、何千というギター・ロック・バンドが世界中で生まれているのだろう。とはいえ、いや、だからこそ、これほど競争率が激しいスタイルで脚光を浴びるようなバンドは、ある意味、本物の実力を持った真のロック・バンドである、とも言えるのではないだろうか。
オアシスの記念すべきデビュー・アルバムである『ディフィニットゥリー・メイビー』は、それこそ、ギター・ロック・バンドというスタイルをそのまま絵にして写し描いたような内容の作品である。斬新な表現や革新的な技巧など、1ミリもない。というか、彼らが敬愛するビートルズはもちろんのこと、楽曲によってはセックス・ピストルズのようであったり、T‐レックスの楽曲のリフの一部をそのまま借用していたり、あきらかに時代に逆行していたりもする。
にもかかわらず、ここで鳴らされているのは紛れもなくオアシスの音なのである。しかも、これほどパクリまくっているのに、リリースから22年経ったいま聴いてもまったく古びていないのだから改めて驚いてしまう。こんな芸当をやってのけるバンドは、やはり真のロック・バンド以外に有り得ないのではないだろうか。
全体の核となっているのは、もちろん、ノエル・ギャラガーである。なんといっても、これほどキャッチーな魅力にあふれたナンバーを大量に書けるような人物なんてそうそう滅多にいるもんじゃない。アマチュア時代にビートルズをはじめとしたロック・クラシックを浴びるように聴いたりコピーしたりして、それこそ五臓六腑に教材として染み渡っているのだろう。そういったものを自分流に染め上げるセンスもしっかりと備わっているし、聴き手を否応なしにカタルシスに誘うソングライティング技術は並外れている。
とはいえ、やはりなんといってもリアム・ギャラガーの歌声である。怒りや鬱屈を表すのにあまりにも相応しい歌声であり、夢や希望を乗せるのにあまりにも頼もしい歌声である。このアルバム以降の歌声もじゅうぶんに魅力的ではあるけれど、やはりここでのリアムの歌声は、彼自身、この時期にしか生み出せなかっただろう、唯一無二のものだ。身震いしてしまうほどに青臭く、このうえなく鋭い歌声。本当に、とてつもなくかっこいい。
いまどきギター・ロック・バンドなんて形骸化もいいところ、没個性なスタイルでしかない。もういいかげん、うんざりだ。
が、じつのところ、なんの変哲のないギター・ロック・バンドという、きわめて凡庸なスタイルの、とびきり個性的なアルバムが、この作品なのである。こんなアルバム、そう滅多にあるもんじゃあない。