映画『乱気流/タービュランス』‐人がバンバン死ぬからこそ楽しい‐

前に『水曜日のダウンタウン』を見ていたら、「蛭子能収を超えるクズ、そうそういない説」というのがやっていた。

漫画家の蛭子さんが過去に起こした数々のとんでもない行動を「クズエピソード」として紹介するというもので、

「感動シーンで爆笑」

「妻の死の2ヶ月後にマネージャーを口説いた」

「孫が5人いるが興味がないので名前を覚えていない」

などなど、悪魔も裸足で逃げ出すんじゃないかと思えるほどの蛭子さんのクズっぷりに爆笑必至の内容であった。

とくに強烈だったのが「息子の友人を漫画の中で惨殺した」エピソードだ。

ある日、蛭子さんの息子とその友人が蛭子家で遊んでいたときのこと。蛭子さんがあとで食おうと冷やしておいたプリンを息子の友達が勝手に食べてしまったという。それを知った蛭子さんは、自分の漫画の中でまったく同じシチュエーションを描き、その続きとしてあろうことか息子の友達を野球のバットで撲殺するという衝撃の展開を遂げる作品を発表。

「ひどいな~!」

「怖い!」

ダウンタウンらほかの出演者たちから非難の声が上がるなか、

「漫画の中だったらですねぇ、自由に人が殺せるんですよ~」

と楽しげに言い放った蛭子さんに、ある種の清々しささえ感じたのは俺だけではないだろう。

蛭子さんが起こした行動の是非はともかくとして、「漫画の中だったら自由に人が殺せる」という彼の発言はたしかにそのとおりであり、それは映画や小説などの「創作物」にもあてはまることだ。

ストーリー上に登場するキャラが拳銃で撃たれて殺されるなんていうのはお決まりの光景であり、あるいはなんだかよくわからない光線を浴びて死んだりなど、このような死を直接的に描いたものや、病死や事故死などによる偶発的なものまで、漫画も映画も小説も「死の表現」に溢れている。

「いくら創作物だからといって人を殺す光景を描写するなんてひどい。不謹慎だ」

仮にそういう声が上がったとして、そんな意見にいちいち反応していたら、漫画も映画も小説もすべて成り立たなくなってしまうだろう。

たとえば、もしも『エイリアン』に出てくる宇宙船の乗組員全員が不死身であったら、『エイリアン』は今のように高い評価を獲得していただろうか。

「へへへ、まったく脅かしやがってよぉ~力石。死んじまったと思ったぜ」

「軽い脳震盪ってお医者様は言ってたわ。もう大丈夫よ、力石くん」

「フフフ……次はこうはいかねえぜジョーよ」

もしも『あしたのジョー』の「ジョーVS力石」がそんなふうに展開していったとしたら、果たしてその後『あしたのジョー』は多くの人々から語り継がれる名作となり得ただろうか。

むろん答えは「ノン!」である。

漫画であれ映画や小説であれ、「死の表現」は欠かせないものだ。

じっさい、死というものはおそろしい。死はなるべく日常から遠ざけたい。だからこそ、せめて創作世界の中では死をエンターテインメントとして思う存分楽しみたい。

そんな願望は誰しもが少なからず抱いているものではなかろうか。

なんてふうにも思う。

で、「死」に一番近しいキャラクターといえば言わずもがなだが「悪役」だ。

個人的に悪役といってパッと思い浮かぶのが以下の3名である。

レイ・リオッタ。ケヴィン・ベーコン。ジャック・ニコルソン。

この3者にはいくつかの共通点がある。

まず、顔が怖い。怒った顔が怖いのはもちろん、ふつうの顔してても怖いし、そのうえ笑った顔もなおのこと怖い。さらにもうひとつ共通しているのは、「不穏さ」といったような雰囲気が抗おうにもにじみ出ているということだ。

なので、彼らが正真正銘「いい人」を演じているようなハートウォーミングな内容の作品であっても一切気が抜けない。

「善人ぶってるけどなにかやらかすんじゃないか」

と、終始猜疑心でいっぱいになってしまうからだ。

とにかく、どんなキャラを演じていてもなんだか怪しい。

そういった意味で、この3者こそ悪役を演じるのにうってつけの存在、「生まれもっての悪役」と呼ぶべきだろう。

さて、そんな「生まれもっての悪役」のうちのひとり、レイ・リオッタが出ている『乱気流/タービュランス』を観た。

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レイが演じるのは連続婦女暴行殺人の容疑者。

飛行機で身柄を移送されている最中、墜落の危機という緊急事態が発生。機内がパニックになる中、騒ぎに便乗して機内にいるやつら殺してついでに将来もないから墜落するよう追い打ちかけて盛大に死んじまおうと目論むサイコ野郎だ。

機内に火をつけるわ酒かっ喰らって大暴れするわで、とにかくやりたい放題のレイ。

いくら悪役こそが天職のレイであっても、こんなとんでもないキャラを演じるのは相当大変だったのではないか。

そんなこちらの心配などどこ吹く風とでもいったふうに生き生きと悪さの限りを尽くすレイ。

しかしそんなレイも最終的には主人公の女に銃で撃たれジ・エンド。

まさにやりたい放題やり尽くし満足気にも見えたその死に顔は、なんだか『地獄甲子園』に出てくる教頭の死に様とダブって見えて笑えた。

「 あ~やっぱり人がバンバン死ぬ映画って楽しいなー」

物騒な物言いだろうか。

でもまあ、映画(漫画・小説も)の魅力ってそういうもんだろう。

……というわけで、めでたいはずの新年一発目の記事がこんなんでいいのか、と自問自答しつつ、とりあえず今年もよろしくお願いいたします。