ハリウッド映画を観ていると、あちらの女優さんというのはもう、本当に「乳首を出しているなあ」ということに気づかされる。
ベッドシーンなんてのがあれば、あちらの女優さんはそれこそ十中八九、出しているのではないか。乳首。
シャーリーズ・セロンもメグ・ライアンも、ケイト・ウィンスレットもジョディ・フォスターも、みんな乳首を出している。ジェシカ・ラングもモニカ・ベルッチも、ジェニファー・コネリーもニコール・キッドマンも、みんなみんな出している。
ちなみに私は親切な人間なので、一応上に挙げた女優たちの乳首にソーグーすることが出来る映画を順に紹介しておく。
・『レインディア・ゲーム』
・『イン・ザ・カット』
・『タイタニック』
・『告発の行方』
・『郵便配達は二度ベルを鳴らす』
・『マレーナ』
・『砂と霧の家』
・『アイズ・ワイド・シャット』
以上である。
意外なところではキャシー・ベイツも乳首を出している。
そう、『ミザリー』のあのオバハンだ。
あのオバハンの乳首を見ることができるのだ。しかも54歳のときの乳首だ。
誰が得するんだ。
ちなみに私は親切な人間なので一応これもジャケ写付きで紹介しておく。
『アバウト・シュミット』という映画である。
さらにこれは私は未確認だが、アンジェリーナ・ジョリーもジェニファー・ロペスもスカーレット・ヨハンソンもなんらかの映画で出しているらしい。
とにかくもう乳首を出してない女優を探すほうが難しいんじゃないかと思うぐらいだ。
一方で邦画ではどうかというと、女優が乳首を出すなんてことは、まあ、滅多にない。あったとしても、だいたい脱ぐのは「B級の人」か、あるいはかつて人気があった「元アイドル」が関の山だし、第一そういう「脱ぎアリ」の映画は内容自体が「B級そのもの」であるパターンがほとんどである。
ある程度著名な女優で言えば、沢尻エリカ、水野美紀、市川由衣ぐらいだろうか。最近乳首出したのは。このときには『週刊実話』あたりの男性誌やネット民の間でもちょっとした騒ぎになっていたものだ。
仮に長澤まさみや新垣結衣あたりが脱ぐとなればちんこが爆発する人間が続出するんじゃないかと懸念されるところであるが、有名女優が脱ぐなんてのは当たり前になっているアメリカ人などからは「童貞かよ!」と一蹴されてしまうだろう。邦画がハリウッド映画を越えられない理由は、こんなところにもあるということである。
それにしてもこれほどまでに「乳首」に寛容な米国ともあろう国が、なぜジャネット・ジャクソンがテレビのスーパーボウル中継にて「乳首ポロリ」したぐらいでたちまち未曾有の大問題へと発展してしまったのか、と今更ながら思う。
2004年2月、国民的ショーである第38回スーパーボウルのハーフタイムショーでジャスティン・ティンバレークとのデュエット中に片方の胸を露出する事件を起こし、激しい非難を浴びる。当初はハプニングを装っていたが、意図的な演出だったことを告白。生中継したテレビ局が罰金処分を受けたり、直後のグラミー賞やアカデミー賞の中継でハプニング防止策が取られるなど、波紋は大きかった。
もちろん映画とテレビという媒体の違いがあったにせよ、せっかくわざわざ見せてくれたジャネットに対して、なにもあそこまで辛くあたらなくとも良かったのではないか、という疑問が残るのだ。
子供が目にするからだろうか。
「なにもスポーツをやっている最中に、乳首はないじゃないか」
ということだろうか。
違う。
いや、それも理由としてあったのだろうが、おそらく世の米国男性が一番声を大にして言いたかったのは、つまりはこういうことなのではないか。
「いや、べつにジャネットの乳首なんて見たかねえよ!」
まあ、そういうことだ。
「性のオープン化」の是非を問うのも大事かもしれないが、同時に、この世には「必要とされる乳首」があれば、「必要とされない乳首」だって存在することについて、ジャネットやキャシーともども、我々は真剣に考えていくべき時期に差し掛かっているような気がしないでもない。