映画『g:mt』‐リアルを追求した結果、チンポ出してみました‐

たとえば、以下のような恋愛モノのドラマがあったとしよう。

主人公であるサラリーマンのケンイチは、会社の同僚女リョーコと恋愛関係中。しかし、ケンイチの方がどうも結婚に踏み切れず、その間、じれているリョーコの前にふたりの共通の友人でもある元カレ・タカシが復縁を迫ってきて、最近ちょっと気になってきている。いわゆる三角関係というやつである。

そしてある日の晩、ささいなことで口論になったケンイチとリョーコ。

と突然、ケンイチがリョーコに向かって見透かしたような冷たい口調でこう言い放つわけだ。

「お前……タカシと寝たのか?」

まったくもってリアルじゃない。

というのは、当然のことながらこれが現実世界である場合、「寝たのか」なんていうお上品なセリフは十中八九、吐かないからだ。

「てか、お前……タカシとヤったの?」

やはりリアルに徹するならば、これが「正解」である。

「寝たのか」では、いかにも舞台用のとってつけたようなセリフという感じであり、じっさい、このテのセリフは映画でもドラマでも昔から後を絶たず、それまで物語に没入して観ていても、くだんのセリフが登場した途端、一気に醒めてしまった経験は一度や二度どころの話ではない。

「崖上で関係者らに囲まれる中、事件の真相を語りだす犯人」

 

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2時間モノのサスペンス・ドラマでよく見られる光景であり、まあ、普通に考えたら「崖上で関係者らに囲まれる中、事件の真相を語りだす犯人」という設定自体ありえないが、ひとまずその問題は置いておこう。

問題は、「語りだす犯人」である。

とことんリアルを追及する。

そうした場合、こんな犯人がいたっておかしくはない。

「事件の真相を語っている最中、突然、くしゃみをする犯人」

いきなりである。緊迫したシーンが一気に白けるのも無理からぬ話だ。

なにせ、くしゃみをするのはいつだって突然だ。「来るぞ来るぞ」とわかっていても、とめられない。まじめな話をしている最中でもおかまいなしだ。それがリアルというやつだ。

そのほかにも、

「事件の真相を語っている最中、突然、屁をこく犯人」

「事件の真相を語っている最中、いきなり犯人の携帯の着メロである『天才バカボン』の主題歌が鳴り出す」

「事件の真相を語っている最中、急にお腹が痛くなり大慌てでトイレに駆け込む犯人。10分後、トイレから出てきて『や、わりぃわりぃ』とかなんとか言いながら続きを話し出す」

「犯人が事件の真相を語ってる最中、関係者のひとりが連れてきていた赤ん坊が急に大声で泣き出し、とてもじゃないが話を聞いていられる状態じゃなくなり、そのうちに警察が駆けつけ犯人が連行されてしまったため、やむなく話は強制終了」

なんかも、リアルを追及した場合、「大アリ」だろう。

『g:mt』を観た。

 

g:mt グリニッジ・ミーン・タイム [DVD]

 

写真家として、あるいはバンドマンとしての将来の成功を夢見る若者たちを描いたイギリスの青春映画である。

夢に向かって奔走するものの、現実のさまざま問題に直面し、結果、ドラッグに溺れるなどし挫折する。

そう。夢なんていくら努力したからといっても全員が掴めるわけじゃない。

全編にわたって大したことは起きないし、終始、鬱屈としたムードが漂っている。

観ていて退屈といえば退屈だが、退屈でありふれた日常を丹念に描いているからこそ、しっかりと「リアル」を感じ取ることができる。

そんな映画だった。

「大ゲンカして部屋を飛び出していった彼女を全裸で追いかける黒人彼氏」

いきなり股間にAVふうのボカシ入った黒人彼氏が登場してくるのだから驚いた。

べつにハードな濡れ場が売りの作品というわけではない。

バンドマンの黒人彼氏の彼女に子供が出来、産もう産まないで揉める場面でいきなりの「ご開チン」なのである。

物語上、それなりに意味がある場面ではあるが、だからって唐突にボカシ入りのチンポを出さなくてもいいではないか。第一、チンポ出さなければならないような必然性はとくに感じられないのだ。大抵の映画だったら間違いなく描かれない構図であろう。

問題は、なぜ、黒人彼氏がわざわざ股間にボカシ入れた状態で登場しなければならなかったのか、だ。

件のシーンをもう一度ふりかえってみる。

ふたりでセックスしたあと、突然、子供が出来た産もういや産まないで口論になった。怒った彼女が出て行ってしまった。慌てて追いかける黒人彼氏。当然、セックスした直後なので全裸である。たしかに自然だ。むしろ、服を着ているほうがおかしい。

リアルを追及した結果、チンポを出す。

つまりはそういうことである。

「ただ単に、出したかった」

あるいは、その場合も、「ある意味、リアル」と言えなくもないが。