本レビューを書くにあたってネットでこの映画のことを調べていたら、トム・ハンクスがコメディアン出身であるということをはじめて知った。
で、本作『パンチライン』であるが、毎晩出演している舞台で客をどっかんどっかん笑わせるほどの才能に秀でていて将来を嘱望されている若手コメディアン役のトム・ハンクスと、そのトムと同じ舞台に立ちながらも客からは失笑を買うばかりでどうもいまいちパッとしないコメディエンヌ役のサリー・フィールドが物語の中心人物である。
ある日、サリーがトムに笑いのアドバイスを求めたりだとか、またある日には舞台で大失敗をやらかしたトムをサリーが慰めたりだとか、そういうなんやかんやがあった挙句、ふたりは恋仲になって、でもサリーは人妻でトムとは不倫の関係、さあふたりはどうなる?
……というのが大まかなあらすじであり、当然もとがコメディアンのトム・ハンクスからすれば、まさに願ったり叶ったりな役柄というか、アッコにおまかせならぬトムにおまかせ状態の映画であると言えよう。
面白くない。
ちっとも面白くないのだ。
なにしろコメディアンを主題にした映画なので、当然トム・ハンクスなりサリー・フィールドなりの「漫談」がこれでもかと劇中披露されるわけだが、これが一ミリも面白くないのである。トム・ハンクスの漫談がまずちっとも面白くないし、サリー・フィールドに至っては、トム・ハンクスにアドバイスをもらってからそれまでが嘘のように客を爆笑の渦に巻き込むことになるわけだが、アドバイス前はもちろん、その後にしても、果たしてどこがどう面白くなったのか、皆目見当もつかないのである。
たとえば、よくあるスポーツ系の映画だ。「野球を題材にした映画」ということにしておこう。
もの凄く弱い野球のチームがある。人気がなく選手自体もやる気がない。いわゆる「お荷物球団」である。
ところがある日、かつてその球団で大活躍した伝説的選手が監督として新たに就任したことで選手たちは目覚める。あれだけ三振の山を築いていたバッターが、あれだけ相手チームのバッターにバカスカ打たれていたピッチャーが、まさかの八面六腑の大活躍を繰り広げる。で、最終的にチームは優勝し大団円。
そこでは当然、ダメな選手たちが成長していく過程がつぶさに描かれていて、それを鑑賞している我々は、
「色々あったけど、お前ら、ようやったなあ……」
という、言わばただの鼻タレ小僧だったわが子が立派な大人に育っていく様を一気に見届けた親のごとき感慨が沸き起こるわけである。
ちっとも沸き起こらない。
なにしろトムしかりサリーしかり、山ほど披露されるどの漫談も頭から最後までビタ一文面白くないので、
「色々あったけど、お前ら、ようやったなあ」
もクソもないのである。
というか、
「色々あったけど、キミら、やっぱり面白くないね」
なのである。
まあ、ただデ・ニーロ主演の『キング・オブ・コメディ』しかり、コメディアン役の人物が劇中披露する芸がまるで面白くないのは、これに限った話ではない。というか、コメディ映画自体、「トークを中心とした笑い」となると、かなりきびしい傾向にあるのは今も昔も同じだ。
やはり、「顔が面白くなければ」、と思う。
「トーク」は文化の違いとかで伝わらない部分が多々あり、きびしいが、「面白い顔」は万国共通である。その点からすると、世界に通用するコメディ映画を撮れるのは、たけしでも松本人志でもなく、やはり志村けんということになるのかもしれない。
トム・ハンクスが演じている役を志村けん、サリー・フィールドの役を研ナオコに。ある日、悩めるダメ芸人・ナオコは新進気鋭の若手芸人志村に笑いのアドバイスを求める。志村のアドバイスの甲斐もあって、「ダッフンダ」「アイーン」等の顔芸を見事マスターしていくナオコ。すると、ナオコの顔芸を観た客はそれまでが嘘のように大爆笑。道中、志村とナオコのラブ・ロマンスも織り交ぜつつ、そして感動の大団円へ……。
ぜひ、リメイクしてほしい。
アメリカでも絶対にウケるはずだ。