たとえば、「ディカプリオが出ているから」とか「スピルバーグが監督をしている作品だから」という理由で映画を観ることがあるように、「セガールが出ているから」という理由で映画を観ないのもアリだと思う。
「どうせセガールが元軍人とか凄腕スパイだとかの役で、まあ、色々となんだかんだありつつ、最終的に悪いやつらを倒して、そんで美女を抱き寄せて破顔一笑、よかったよかった、みたいな内容なんでしょ…?」
有名な「沈黙」シリーズ(というか、これしか知らない)は、一度も観たことがないのに、なぜか大体の内容がなんとなく予想できてしまうし、加えてヴィジュアル的に「濃すぎる」ところも、どうしてもセガールに積極的になれない理由としてあった。
そんな折、『エグゼクティブ・デシジョン』という映画にセガールが出演しているという情報を得た。
私もいい大人だ。食わず嫌いは良くない。ついにやってきたというか、やってきてしまったというか、とにもかくにも、本作が私にとっての初セガールな作品となった。
冒頭に出てくるキャスト・クレジットの並びは、カート・ラッセル、ハル・ベリーに次いで3番目。主役の座はカート・ラッセルに譲った格好だがセガールのことだ(よく知らないが)、きっと重要な役を演じているに違いない。
鑑賞開始後まもなく、セガール登場。手に持ったナイフで敵を一突きするセガール。眉間に深々と皺を寄せながら、終始、苦虫を噛み潰しているような表情のセガール。
うん。怖い。
実生活でも何人か殺しているかのような、変質者のような、とにかくもの凄いオーラである。こんな男を「ちょっとコンビニで焼きそばパン買ってきて」なんつって、軽々しくパシリにすることができる人間などいないだろう。
ギリシャ初ワシントン行きのジャンボジェット機が突如としてテロリストグループにハイジャックされた。罪のない乗客たちを救出するため向かったのは、陸軍情報部顧問の博士を演じるカート・ラッセルと、セガール隊長率いる対テロ特殊部隊員達である。
「あ~なるほどね。これはカート・ラッセルとセガールがコンビを組んでテロリストどもを一網打尽にする痛快アクション系の映画だな」
と、すぐにピンときた。
で、実験段階にあった特殊ステルス輸送機でテロリストたちが制圧しているジャンボ機に気付かれないようドッキング。ステルス輸送機に乗っているラッセルとセガール率いる特殊部隊員達が連結部分をつたってジャンボ機に潜入するという、あまりにもむちゃくちゃな展開になるわけだが、まあそれはいい。
どうも様子がおかしくなってきたのは、潜入作業中の混乱によってセガールがステルス輸送機にひとり取り残されたあたりからだ。作業がこれ以上モタつくとテロリストグループに勘づかれる危険がある上、連結部分に徐々にガタがきており今にも壊れそうだ。セガール絶体絶命のピンチである。
「まかせたぞ!」
と、ここでやおら仲間たちにそう声をかけ、勢い良く連結部分のハッチを締めるセザール。直後、ステルス機大爆発とともに引きの映像で豆粒みたいにちっちゃい形したセガールが大空の彼方に飛ばされていった。
「コントかよ!」
驚いた。
いやいや。おかしい。
なにしろ、まだ映画が始まって30分くらいの序盤ともいっていい場面なのである。つーか、ほとんどなにもしてないぞセガール。こんなはずがないではないか。
いや、そうか。
「お~い! いやー、たまたまそばで飛んでた気球に飛び乗ってどうにか命拾いしたぜ。いま助けに行くぞ!」
とかなんとか言いながら、終盤仲間が大ピンチの場面でセガール助太刀で再降臨という、これはきっとそういうふうな展開になるに違いないのだ。うん。絶対そうに決まっている。
しかし、突然いなくなってから3・40分ほど経っても、終盤あたりに差し掛かった場面でも、セガールは一向に登場する気配がない。
で、結局これ以降、セガールが登場することは一切なかった。
唖然とした。
いやいや。わかった。なるほど、そういうことか。
ようするにこれは「出オチ」なのだ。
そうでなければ、こんな出てきた意味があるのかよくわからないキャラに、こんな無駄に存在感がありまくるおっさんをわざわざ抜擢する説明がつかないではないか。
つまり、セガールが登場してからとくになにもせず死ぬまでのシーンは、これはやや長めのコントなのであり、セガールと監督による渾身の一発ギャグなのである。てっきり無敵でモテモテの役しか基本的に演じないオレ様野郎=セガールと思い込んでいたが、じつはコメディだってしれっとこなす柔軟な姿勢を持った役者だったとは。
私が知らないだけで、巨大ザメにセガールが真っ先に食い殺される海洋パニック映画とか、開始直後2分でセガールが爆死する戦争映画とか、まだまだあるのかもしれない。
「セガールのすぐ死ぬシリーズ」
そんなもん、面白いに決まっているじゃないか。
私はもう、セガールに夢中である。